昨日、小田原城に行ってきました。花菖蒲と紫陽花を一緒に撮れそうな感じだったので、それを期待してのことです。
私が小田原城に行ったのは、確か2016年の大改修が行われている最中だったと記憶していますので、10年ぐらいぶりのことです。
今回は、車でなく電車(小田急線)で行きました。駅を出てお城に向かいます。駅に「小田原城こっち」みたいな案内があるだろうと思ったのですが見当たらず、少し右往左往しました。それでも大きなミスを犯すことなくお城が見えてきました。

向こうに赤い橋が見えたので、あそこが入口だろう・・と思ったのですが、あれは「学橋」といって二の丸に繋がる橋で、正規の登城ルートではないとのこと。
お城の橋で「学橋」とは少し珍しい名前だと思ったのですが、昔(平成4年まで)二の丸に「城内小学校」という小学校があったそうで、そこから名づけられたもののようです。では、何故「城内小学校」は閉校になってしまったのかというと・・・校舎が老朽化し、建て替えが必要となったのですが、小田原城が史跡に指定されていたたため建て替えが許可されなかったからだそうです。小田原城が史跡に指定されたのは1938年なので、城内小学校はそれより前に創られたのでしょうね。今は、「三の丸小学校」となり、城のすぐ南に隣接する三の丸があった場所にあります(三の丸跡は史跡の範囲に含まれていません)。ちなみに、この場所には小田原藩の藩校「集成館」があったそうです。
そういえば、5月に行った水戸にも、弘道館の横に三の丸小学校があったな。
正規の登城ルートは下の写真に小さく見える「馬出門土橋」を渡った「馬出門」から入ります。ちなみにお堀(東堀)の右にあるのは「隅櫓」です。

↓こちらが「馬出門」

この馬出門を入るとすぐ左手に「内冠木門」があります。

この二つの門で敵を閉じ込める桝形となっています。
桝形↓ここに閉じ込めてやっつけます。

内冠木門をくぐると馬屋曲輪、今は広場となっています。ここから本丸へ向かうにはもう一度お堀(住吉堀)を渡らなくてはなりません。

お堀を渡る「住吉橋」の先は、再び桝形となっています。「銅門(あかがねもん)桝形」です。上の写真に写っているのは「内仕切門」、その先の左手に「銅門」↓

この二つの門の間に敵を閉じ込めます。
「銅門」の先が二の丸で、上に天守が見えました。

というわけで、これから天守(本丸)に向かうわけですが、その前に、本丸へと向かう路に紫陽花が見えました。本日のお目当てです。


紫陽花を撮りながら本丸方面へ・・・
すると菖蒲田が見えてきました。しかし、

が~ん。全く咲いていません。
紫陽花は咲いているのですが。


でも、あの赤い橋の向こう側にも菖蒲田はあり、そこではある程度花菖蒲が咲いています。

それでも、少しだけで期待外れでした。ちょっと遅かったか・・・。でも、もう少し早く来たら紫陽花がほとんど咲いていなさそうだし。
何とか本日の目的だった紫陽花と花菖蒲の2ショットを撮りました。

ここの花菖蒲は、菖蒲田に直接植えられているのでなく、一株ずつ鉢に植えて並べられています。
一方紫陽花の方は、本丸の高台の斜面一面に咲いていました。見頃です。





本丸に上ります。先ほどから見えいた赤い橋を渡り「常盤木門」をくぐれば本丸です。


天守です。

入場料1,000円です。
中にはお城の模型がありました。

天守最上階からの眺望です。まずは西側から。

箱根の山々が見えます。左から三つ目のピークが箱根駒ケ岳です。箱根神社の元宮がある山ですが、ロープウェイが昨年リニューアルしたこともあり最近TVでよく紹介されます。
小田原城からは冨士山は見えません。箱根の山が近すぎて遮られているのですね。
南側は伊豆半島や真鶴半島。

また大島もかすみながらも何とか見えいています。

東側は遠く三浦半島があります。かなり薄いですけど。水蒸気が少なければ江の島なども良く見えるらしいです。

北側は丹沢の山。神奈川県の名峰大山(右端)は、頭がちょっとだけ雲に隠れています。

城内には、他のお城同様、色々な展示がありますが、10年前の改修に伴い耐震の問題から甲冑等は置けず、常盤木門の横にある「SAMURAI館」に展示していあります。先ほどの入場料1.000円は「SAMURAI館」込みの値段です。
天守を出て、常盤木門ではなく、本丸の奥から坂を下りました。坂の下は「御用米曲輪」です。幕府の御用米の蔵があった場所で、現在発掘調査中です。

ここを突っ切って二の丸の方へ行けると思ったのですが、通れず、来たコースを戻ることとなりました。
城を出て、ちょっとだけ町を散策。
「ういろう本店」です。

「ういろう」と言っても名古屋のお菓子ではありません。薬です。(実はお菓子も売ってますが)。
どんな薬かというと、見た目は宇津救命丸みたいなものです(宇津救命丸と言っても若い人は知らないかもしれませんが)。ただ。子供の薬ではなく、大人の動悸・息切れ・腹痛・頭痛など何でも治ってしまう薬です。私の母が好きで、わざわざ小田原まで買いに来ていました。
この「ういろう」、名古屋の「ういろう」と無関係ではありません。
室町時代、亡命してきた中国人が日本に帰化して「ういろう」を名乗りました。京都でお菓子や薬を創っていたのですが、やがて北条早雲に招かれて小田原に移住しました。親族・子孫は全国に散らばり、お菓子や薬を広めていきました。つまり、昔は「ういろう」は名古屋名物ではなく、全国にあったお菓子だったんです。でも、名古屋以外の「ういろう」は衰退して、今や名古屋が「ういろう」の名産地となっているわけです。そして、「ういろう」の本家本元は、小田原の薬屋さんということです。
この情報、実は改修前の小田原城内に掲示されていたのです(今はもうありませんでした)。ですので、私が知ったのはだいぶ前のことで、私の記憶違いの部分もあるかと思いますが、大まかには正しいと思います。
ういろうの向かい側に、やはり歴史を感じさせる薬屋さんがありました。小西薬房です。

創業寛永10年(1633年)だそうです。
かまぼこ通りです。

最後は「御幸の浜」

正面に大島があります。

お昼時になったので、昼食を食べて帰りました。
小田原っぽい物と思い、見つけたのが「アジフライセンター 磯のや」というお店。ここに来たらみんなアジフライを頼むのだろうと思ったのですが、そうでもなく、海鮮丼とか大エビフライとか食べていました。私は素直にアジフライ。驚くほどフカフカ柔らかでした。
インスタに最近撮った写真や昔撮った写真を投稿しています。
風景写真です。
よかったら見てください。
↓
😊 instagram
私が小田原城に行ったのは、確か2016年の大改修が行われている最中だったと記憶していますので、10年ぐらいぶりのことです。
今回は、車でなく電車(小田急線)で行きました。駅を出てお城に向かいます。駅に「小田原城こっち」みたいな案内があるだろうと思ったのですが見当たらず、少し右往左往しました。それでも大きなミスを犯すことなくお城が見えてきました。

向こうに赤い橋が見えたので、あそこが入口だろう・・と思ったのですが、あれは「学橋」といって二の丸に繋がる橋で、正規の登城ルートではないとのこと。
お城の橋で「学橋」とは少し珍しい名前だと思ったのですが、昔(平成4年まで)二の丸に「城内小学校」という小学校があったそうで、そこから名づけられたもののようです。では、何故「城内小学校」は閉校になってしまったのかというと・・・校舎が老朽化し、建て替えが必要となったのですが、小田原城が史跡に指定されていたたため建て替えが許可されなかったからだそうです。小田原城が史跡に指定されたのは1938年なので、城内小学校はそれより前に創られたのでしょうね。今は、「三の丸小学校」となり、城のすぐ南に隣接する三の丸があった場所にあります(三の丸跡は史跡の範囲に含まれていません)。ちなみに、この場所には小田原藩の藩校「集成館」があったそうです。
そういえば、5月に行った水戸にも、弘道館の横に三の丸小学校があったな。
正規の登城ルートは下の写真に小さく見える「馬出門土橋」を渡った「馬出門」から入ります。ちなみにお堀(東堀)の右にあるのは「隅櫓」です。

↓こちらが「馬出門」

この馬出門を入るとすぐ左手に「内冠木門」があります。

この二つの門で敵を閉じ込める桝形となっています。
桝形↓ここに閉じ込めてやっつけます。

内冠木門をくぐると馬屋曲輪、今は広場となっています。ここから本丸へ向かうにはもう一度お堀(住吉堀)を渡らなくてはなりません。

お堀を渡る「住吉橋」の先は、再び桝形となっています。「銅門(あかがねもん)桝形」です。上の写真に写っているのは「内仕切門」、その先の左手に「銅門」↓

この二つの門の間に敵を閉じ込めます。
「銅門」の先が二の丸で、上に天守が見えました。

というわけで、これから天守(本丸)に向かうわけですが、その前に、本丸へと向かう路に紫陽花が見えました。本日のお目当てです。


紫陽花を撮りながら本丸方面へ・・・
すると菖蒲田が見えてきました。しかし、

が~ん。全く咲いていません。
紫陽花は咲いているのですが。


でも、あの赤い橋の向こう側にも菖蒲田はあり、そこではある程度花菖蒲が咲いています。

それでも、少しだけで期待外れでした。ちょっと遅かったか・・・。でも、もう少し早く来たら紫陽花がほとんど咲いていなさそうだし。
何とか本日の目的だった紫陽花と花菖蒲の2ショットを撮りました。

ここの花菖蒲は、菖蒲田に直接植えられているのでなく、一株ずつ鉢に植えて並べられています。
一方紫陽花の方は、本丸の高台の斜面一面に咲いていました。見頃です。





本丸に上ります。先ほどから見えいた赤い橋を渡り「常盤木門」をくぐれば本丸です。


天守です。

入場料1,000円です。
中にはお城の模型がありました。

天守最上階からの眺望です。まずは西側から。

箱根の山々が見えます。左から三つ目のピークが箱根駒ケ岳です。箱根神社の元宮がある山ですが、ロープウェイが昨年リニューアルしたこともあり最近TVでよく紹介されます。
小田原城からは冨士山は見えません。箱根の山が近すぎて遮られているのですね。
南側は伊豆半島や真鶴半島。

また大島もかすみながらも何とか見えいています。

東側は遠く三浦半島があります。かなり薄いですけど。水蒸気が少なければ江の島なども良く見えるらしいです。

北側は丹沢の山。神奈川県の名峰大山(右端)は、頭がちょっとだけ雲に隠れています。

城内には、他のお城同様、色々な展示がありますが、10年前の改修に伴い耐震の問題から甲冑等は置けず、常盤木門の横にある「SAMURAI館」に展示していあります。先ほどの入場料1.000円は「SAMURAI館」込みの値段です。
天守を出て、常盤木門ではなく、本丸の奥から坂を下りました。坂の下は「御用米曲輪」です。幕府の御用米の蔵があった場所で、現在発掘調査中です。

ここを突っ切って二の丸の方へ行けると思ったのですが、通れず、来たコースを戻ることとなりました。
城を出て、ちょっとだけ町を散策。
「ういろう本店」です。

「ういろう」と言っても名古屋のお菓子ではありません。薬です。(実はお菓子も売ってますが)。
どんな薬かというと、見た目は宇津救命丸みたいなものです(宇津救命丸と言っても若い人は知らないかもしれませんが)。ただ。子供の薬ではなく、大人の動悸・息切れ・腹痛・頭痛など何でも治ってしまう薬です。私の母が好きで、わざわざ小田原まで買いに来ていました。
この「ういろう」、名古屋の「ういろう」と無関係ではありません。
室町時代、亡命してきた中国人が日本に帰化して「ういろう」を名乗りました。京都でお菓子や薬を創っていたのですが、やがて北条早雲に招かれて小田原に移住しました。親族・子孫は全国に散らばり、お菓子や薬を広めていきました。つまり、昔は「ういろう」は名古屋名物ではなく、全国にあったお菓子だったんです。でも、名古屋以外の「ういろう」は衰退して、今や名古屋が「ういろう」の名産地となっているわけです。そして、「ういろう」の本家本元は、小田原の薬屋さんということです。
この情報、実は改修前の小田原城内に掲示されていたのです(今はもうありませんでした)。ですので、私が知ったのはだいぶ前のことで、私の記憶違いの部分もあるかと思いますが、大まかには正しいと思います。
ういろうの向かい側に、やはり歴史を感じさせる薬屋さんがありました。小西薬房です。

創業寛永10年(1633年)だそうです。
かまぼこ通りです。

最後は「御幸の浜」

正面に大島があります。

お昼時になったので、昼食を食べて帰りました。
小田原っぽい物と思い、見つけたのが「アジフライセンター 磯のや」というお店。ここに来たらみんなアジフライを頼むのだろうと思ったのですが、そうでもなく、海鮮丼とか大エビフライとか食べていました。私は素直にアジフライ。驚くほどフカフカ柔らかでした。
インスタに最近撮った写真や昔撮った写真を投稿しています。
風景写真です。
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